擬似ループを続ける『ゆゆ式』の可動域と最先端に関する考察。

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 6周目が終わろうとしている。

 1年生を「2周」で終え、3巻で2年生に進級すると、以後はひたすら2年生をループする形で描かれている『ゆゆ式』の、6度目の2年生が終わろうとしている。

 今月9日発売のまんがタイムきららに「2月」を描いた回が掲載され、残るは3月だけ。再来月号からは2年生の4月へと時間が巻き戻り、7周目の2年生が始まる(3年生に進級する可能性もゼロではないが……)。

 とはいえその「ループ」は、あくまで読者の主観時間による擬似的なものに過ぎない。ゆずこたちはループなどしていない。一度しかない、過ぎ去ればニ度と戻れない高校2年生を過ごしている。

 作者の三上小又先生がその唯一の一年間を、現実の時間軸に合わせて適時抽出し、読者はそのエッセンスを摂取する。いわゆるサザエさん時空とは異なり、観測の仕方によってループのように見えるだけ。それが『ゆゆ式』という作品だ。

 そのように幾度も幾度も繰り返される、たった一度の春夏秋冬の中で……季節によって『ゆゆ式』に優劣をつけるのは愚かであるという自覚のうえで、それでも一つ、筆者が好きな季節を強いて一つだけ選ぶとすれば、それは「冬」である。

ゆゆ式』における冬。それは(筆者にとって)岡ちーこと岡野佳の季節だ。岡ちーの季節なので冬が一番である。

 これは筆者が岡ちーに対して特別に深い愛情を抱いているためではなく(好きだけど)、仮に自分の岡ちーの好感度が低かったとしても、その考えに変化はない。

 何故か。それは岡ちーというキャラクターが、ゆずこたちの奇跡の一年間を擬似的なループで描いてる『ゆゆ式』を観測するうえで、非常に重要な機能を持っているからである。そしてそんな岡ちーの特性が最も強く現われる季節が「冬」なのだ。

 

■岡ちーという波

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 (単行本2巻112ページ)

 

 岡ちーは当初、『ゆゆ式』の世界に現われた異分子であり異邦人だった。『ゆゆ式』の世界に初めて現われた、明確な敵意。情報処理部の良き理解者であるおかーさんはもちろん、外部視線的な役割を担う存在として登場した(けど唯には最初から好意を抱いていた)相川さんとも、大きく異なるキャラクターとして登場している。

 初登場はやる気ビーム回の9月だが(2巻81ページ)、名前の登場とゆずこたちとの初接触は12月。そして唯に「ウチの相川をあんまとるなよ…」と威嚇の視線を送る。その後も登場する度に唯(たち)に対するネガティヴな心象を覗かせる。

 この岡ちーとの初接触から和解(?)に至るまでの半年間(1年生12月~2年生5月)は『ゆゆ式』の世界において、最も緊張感が生じていた期間だったと言ってもいい。

 そして岡ちーのもたらしたこの不穏さは、『ゆゆ式』の擬似ループ的な時間表現のルールをも捻じ曲げてしまう。三上先生が「岡野が唯のことをあんまりよく思ってない、って描写を入れちゃった。だからお互いを仲良くさせるには、もう進級させるしかないなと」(注1)と証言しているように、一年生が二周で終わったのは岡ちーの存在によるものだった。

 ジェラる岡ちー、『ゆゆ式』の時計の針を動かす。

 動かした甲斐もあり、2年生編において岡ちーは唯(たち)と打ち解け、情報処理部の面々に溶け込む。もはや相川さん以上に仲良くなっているとすら言ってもいい。

 帰宅部で暇人だからか、最近では情報処理部の部室にやってくる描写がふみはもちろん相川さんより目立つようになり、何より情報処理部の「部活」にちゃんとした形で参加したのは今のところ岡ちーだけ。教室でもどこかお客様然とした相川さんに比べると、自然な様子で唯と並び、ネタ的な会話に参加している。二人の性格の違い(による接し方の違い)もあるだろうが、ゆずこの岡ちーに対する態度は相川さんより馴れ馴れしい(注2)。

 <ゆゆ式>に対するネガティヴな表徴である一年生岡ちーと、<ゆゆ式>に打ち解け、参加する二年生岡ちー。二つの岡ちー。

 しかしここで留意しなければならないのは、二年生編におけるこのような岡ちーの印象はあくまで総合的な評価の蓄積であり、二年生という一年間を全体として捉えようとした場合、岡ちーは極めて流動的な存在であるという点だ。

 二年生の岡ちー、それは観測した瞬間に状態が確定する、量子の波のような存在である。そしてそんな二年生岡ちーの特性を生じさせているものこそ、『ゆゆ式』における擬似ループ構造である。

 

■第二次岡ちー波

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   (単行本6巻20ページ)

 

 改めて確認するが、現在の『ゆゆ式』は私たちの主観時間に照らし合わせるとループしている(ように見える)。3巻からは2年生をひたすら繰り返している。

 なので2年生の3月の次回にやってくるのは3年生の4月ではなく、2年生の4月である。

 そして岡ちーが唯(たち)に対して抱いていた、不信感や警戒心が解けたのは、2年生の5月である。

 つまり2年生3月→2年生4月へと時間が巻き戻ることで、岡ちーと唯たちの関係も「ウチの相川をあんまとるなよ…」「やっぱ変わってんなあの三人」とわだかまっている状況へと巻き戻っているのである。

 ゆえに2011年秋時点での三上先生の「(仲良くないから)五月まで岡野と長谷川は出せない」(注3)という宣言通り、二周目以降(4巻から)では4月と5月にあたる回で、岡ちーとふみは一度も登場していない。そんな逆皆勤賞状態が、もう5年も続いている。

 4周目の4月では体育で足首が「にゃんってなった」ゆずこを心配して、相川さんがやってくる場面があるが(6巻20ページ)、おそらく離れた場所には不機嫌そうな顔でその様子を見守っている岡ちー(と、それを面白がって見ているふみ)がいるのだ。映っていないだけで。

 そして季節が進み……夏を越え、気温が下がれば下がるほど、ゆずこたちと岡ちーを含む相川さんグループとの親密度は増す。増して、近付いて、戻ってを何度も何度も繰り返している。ゆえにそこには季節ごとに、微妙な距離感の違いが存在している。

 この構造を端的に表しているわかりやすい例が、「2年生5周目」が丸々収まっている、七巻における7月と2月の回だろう。

 7月の扉絵。互いの席から手を振り合っているゆずこと相川さん。その横には唯と縁、岡ちーとふみもおり、二つのグループの距離は離れている。

 2月の扉絵。六人が並んで一緒に歩いている。唯と相川さんで食い違っているのは、この二つのグループの紐帯の始点が、二人の関係によるものだったことを意味しているのかもしてない。

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(単行本7巻33ページ)

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(単行本7巻94ページ のきらら掲載時カラー)

 

 2年生の7月と2月における、二つのグループの距離の違いを意図して描かれた扉絵。そしてこの二つの回は、エピソード自体もその「距離」を描写したものになっている。

 7月(5周目)では岡ちーがゆずこ唯縁のドレッシングに関する会話を盗み聞き、自グループでそのネタをトレースする形で展開させ、さらにそこでの岡ちーのツッコミが離れた席のゆずこたちへと逆流するという、距離のある変則的なコミュニケーションの交換が描かれている。扉絵はその情報の伝達にゆずこが気付き、手を振った場面である。

 これに対して2月(5周目)は岡ちー、ふみお、相川さんの三人が相次いで情報処理部を訪れ、全員集合した様子が描かれた初めてのエピソードだった。集合の理由はチョコ作りの材料の買い出しの待ち合わせ。1年生2周目の2月回では岡ちーがジェラってた相川さんのチョコ作りを、2年生ではみんな一緒に行うわけですね。扉絵は本編中では描かれることのなかった、一緒に買い出しに行く場面だと思われる。f:id:sugita_u:20160224214426p:plainf:id:sugita_u:20160224214412p:plain

 同じように二つのグループの距離を描いた例として興味深い例が、6月という早い時期にふみおかが登場する数少ない回(4周目・6巻)と、ある程度関係性が円熟している5周目11月(7巻)の対比である。

 前者の6月回(4周目)では学校の近くに止まっていたパトカーをゆずこと岡ちーが別々に発見し、そしてそれに関する会話が教室と廊下で、それぞれ離れた場所で展開される。同じパトカーをネタにしながら、ゆずこ唯縁とふみおかの二組は最後まで交わることはない。背中を殴るという仕草の奇妙な一致だけを残して。

 一方後者の11月回(5周目)では「ねむい」状態がシンクロした相川さんとゆずこのネタが、同じ教室内で二つのグループによって独立&平行して展開された後に、「ねむい」状態のゆずこを岡ちーが廊下で発見する。その結果ゆずこたちも「ねむい」相川さんを発見し、それを縁と一緒にふみが報告に来る。

 距離の変化による、情報(ネタ)の消費と伝達形態の変化。この二つのエピソードは先述した5周目7月回と合わせて、遠距離、中距離、近距離の三点セットとして分類できる。さらに岡ちーのメールによって「そばだけに」というネタのシンクロが発生するそば回(2周目3月・5巻)を、超遠距離の例として加えてもいいかもしれない。

 このそば回は岡ちーとゆずこたちの距離を測るうえで、非常に重要なエピソードでもある。校外にそばを食べに行ったゆずこたちの行き先を「保健室だったりして…」とふみおが予想する場面があるが、『ゆゆ式』は3月に保健室という言葉がやけに頻出する。

 これはおそらく、1年生の3月との対応関係を意識した結果だろう。

 1年生の3月(2週目)。相川さんが睡眠不足でおかしくなった唯を保健室に連れてゆき、ケータイで撮った寝顔の画像を岡ちーに見せる。不機嫌になった岡ちーは「重病?」と言う。

 しかし2年生の3月(2周目・5巻)での岡ちーは、ふみおの「保健室だったりして…」「なーんちゃって病院だったりして」という言葉の後に、ケータイでメールを送って、そしてそばの画像が返信されることでゆずこたちの居場所を知る。

 4周目の回(6巻)では「保健室」という言葉を聞いて「カゼ?」と縁の心配をした後に、情報処理部の部室を訪れ、ともに部活を行う。そこにはかつて唯(たち)を警戒していた、1年生岡ちーの見る影もない。

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 現在の『ゆゆ式』に、唯(たち)によからぬ感情を抱く岡ちーはもはや存在しない。正確には4月5月には存在しているのだが、私たちが観測できる画面には映らない。私たちが視ることのできる岡ちーは、すでに角の取れたまろやかな岡ちーである。

 しかし季節によって、そのまろやか度は微妙に異なっている。もちろんそれは相川さんやふみも同様だが、岡ちーはスタート地点がマイナスから始まっている分だけ、その触れ幅が三人のなかで突出して大きい。時間の経過とともに新密度が高くなる。6月の岡ちーと3月の岡ちーは、だいぶ違う岡ちーだ。

ゆゆ式』においてゆずこ、唯、縁の三人の関係はすでに完成している。二年生を何度繰り返そうが変化はない。

 ゆえに現在の『ゆゆ式』で最も変動しているのは、唯のおっぱいと相川さんグループの距離感ということになる(注4)。特に岡ちーは擬似ループを繰り返す『ゆゆ式』における最大の可動域として、観測する季節によって状態を変える、波のような存在として位置付けられる。

 そしてその波形が、より『ゆゆ式』の中心たる情報処理部に押し寄せ、大きな形で観測されるのは、12月頃から。

 縁の誕生日プレゼント回(6巻75頁~)がある11月を含めたい気持ちもあるが、後述の理由により、ここは12月に線を引きたいと思う。

 岡ちーの初登場、そして時間ルールを突破したネガティヴさの蓄積が一年生の冬に行われたのと同様に、二年生においてもゆずこたちとの新たな関係性を発見できる回は、「冬」に多い。だから筆者は「冬」が好きなのだ。

 ちなみに情報処理部との関係が薄い、より純粋な「ふみおか」に関してはむしろ梅雨から秋にかけて発生する可能性が高いので注意が必要である。冬になると情報処理部との絡みが優先されるので、二人(+相川さん)だけで完結するネタは寒くなる前にやっちまえってことですね。

 

■ふみお以前/以後

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(単行本7巻32ページ)

 

 そしてこのような岡ちーの流動性の他に、情報処理部の三人と、相川さんを中心とした三人の、二つのグループの距離感の変化を明確に分割している例が、長谷川ふみことふみおの呼び名の変化だろう。

 長谷川(岡ちー)、長谷川さん(唯)、長谷やん(ゆずこ)など様々な呼び名が存在する彼女だが、なかでも呼ばれることが多いのが「ふみお(ちゃん)」というあだ名である。

 当初、ゆずこたちに行った自己紹介で本人が「ふみでもいいよ?」と言い、縁が「ふみちゃん?」と復唱したように(3巻66ページ・6月1周目)、彼女の呼び名はしばらく「ふみ(ちゃん)」だった。岡ちーはずっと一貫して「長谷川」。

 ところが4巻12ページ(1月・1周目)を境に、ゆずこと縁は彼女を「ふみお(ちゃん)」と呼ぶようになる(ゆずこは長谷やんとも呼ぶ)。

 当時筆者は、この唐突な“お”の出現に、「誤字?それともゆずこがなんとなく“お”をつけただけ?」とかそんな風に思っていたのだが、約一年後に縁も「ふみおちゃん」と発言し、以後7巻32ページ(7月5周目)まで……連載期間にして約三年半もの間、当初呼ばれていた「ふみ(ちゃん)」は登場しない。f:id:sugita_u:20160224185830p:plain

 この縁による三年半ぶりの「ふみちゃん」は前項で参照した、二つのグループの距離がまだ微妙に離れていた時期を描いたドレッシング回であり、さらにゆずこによる「この高二の夏って時間、過ぎたらもう一生来ないんだもんね」という発言があったりと、『ゆゆ式』の擬似ループ構造を示唆する意図が強く感じられる(この擬似ループは作品の外部で表明されたものなので、サザエさん時空だと勘違いしている読者も少なからず存在していると思われる)。つまり三上先生が後付けの思いつきで「ふみ」を「ふみお」に変更したのではなく、ゆずこ&縁とふみの関係の変化によって、どこかで“お”が付け足されたのだ。

 先述したように、「ふみお(ちゃん)」の初出は4巻12ページ(1月・1周目)である。

 しかしそれはあくまで私たちの時系列に過ぎない。『ゆゆ式』世界の時系列において、一体いつからゆずこと縁は「ふみお(ちゃん)」と呼ぶようになったのか? その分水嶺は12月に発見できる。

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「ふみ」は一周目だけで、その後は全部「ふみお」。

 そしてその唯一の回こそが、部活を終え、下校しようとしていたゆずこたちが廊下で相川さんグループに遭遇し、そのまま長谷川家に赴くことになる回である。おそらくこの長谷川家来訪イベントによって新密度が高まり、あだ名で呼ぶ関係へとレベルアップしたのだと思われる。きっとこれを読者に発見&理解してほしいからこそ、12月は「ふみおちゃん」と呼ばれる回数が際立って多いのだろう。ちなみにゆずこによる「岡やん」「長谷やん」というあだ名も初出は12月。

 それにしても季節によって距離感の変化がわかりやすい岡ちーに比べると、ふみおは春夏秋冬、大きく態度が変わらない。9月という早い段階でゆずこたちによるネタ的な会話、振る舞いに参加し、縁的な展開まで行えている点で<ゆゆ式>の理解度に関しては相川さんや岡ちーより優位だと言えるが、その半面、単独で情報処理部にやってくることはない。そもそも相川さんや岡ちーのように登場した時点で唯に対する好感度が高かったり低かったりしないので、良くも悪くも関係がフラットなのだろう。長谷川家来訪イベント後に変化が生じるのも、むしろゆずこと縁の側である。

 岡ちーとは逆に、ゆずこや縁から距離感の変化の表徴を観測することができる。それがふみおというキャラクターだと言える。

 

■岡やん&ふみおが浮き上がらせる、『ゆゆ式』の最前線。

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 とまあここまではよく訓練されたゆゆ式信者にとっては常識だとして、この記事の本題はここからである。長い前振りだった。

 最新刊である7巻の書き下ろしのカラー漫画では、「ふみお(ちゃん)」というあだ名がそもそも中学時代のあだ名であり、高校では相川さんが最初に呼び始めたこと、そして何より「“お“って一体なんなんだよ」という読者の長年の疑問の答えが、ついに明らかになっている。

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(単行本7巻4ページ)

 

 ふみおの“お”、それはお父さんの“お”。

 答えになっていないような答えだが、お父さんの“お”とは敬意を表す接頭語であり、「さん」や「様」などと近似した機能を持っているので、一見馴れ馴れしく呼んでいるようで実はリスペクトしている(させている)という、そんなトリッキーな意図があるのかもしれない。

 そしてそんな長年の疑問の氷解(?)と同時に、また新たな疑問が浮かんでくる。

 それは「このエピソードは一体いつなんだ?」というものだ。

 前項で検証したように、ゆずこと縁が「ふみお(ちゃん)」というあだ名を使うようになったのは12月からである。他にもこの12月を境に様々な変化が散見されることから、同月の長谷川家来訪イベントが親密度アップのイベントになっていると推測できる。

 相川さんは10月の時点で情報処理部にやってきているが(3巻91ページ)、岡ちーとふみおがやってきた(のが描写された)のは、1月(6周目)が最初。このエピソードは未単行本化部分なので説明や画像は自粛するが、単行本派のふみおか厨は楽しみにするとよい。

 もちろん描写がないだけでもっと早く訪れている可能性もあるが、長谷川家来訪イベント回で岡ちーが「情報処理部って何やってんの?」という発言があるので、少なくともこの時点ではまだ訪れていない。

 さらに6人(+おかーさん)が部室に集合した様子が描写されたエピソードの初出となると、これも既述したように5周目の2月(7巻101ページ)になる。そのときの岡ちーやおかーさんの「狭いなー」「多い!」という反応は、それが前例のない、レアな現象であることを示唆している。

 ゆえにこの7巻の書き下ろしカラー漫画のエピソードは、最速でも12月の長谷川家来訪イベント以後……突き詰めると「2月以降」と考えるのが妥当だろう。

 しかしここで、ある引っ掛かりが生じる。それは『ゆゆ式』における「冬(12~3月)」を示すアイコンである、コートの存在がどこにも確認できない点だ。

 これもまたよく訓練されたゆゆ式信者にとっては常識だが、ゆずこたちは鞄やコートを情報処理部室のホワイトボードの右横に置く。コートは鞄の上に重ねて置く。より厳密に言えば、ホワイトボードの右横に鞄に加えてコートが描写されるようになったのは「4巻の32ページ(3月)」からなのだが(つまり1年生の時点ではそうなっていない)、初描写以後はこのルーチンはまだ一度も崩れていない。冬になるとホワイトボードの右横には、常に鞄とコートがある。

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 ルーチン成立以前の4巻の2月(17~24ページ)にも、唯の部屋にかけられたコートがちらっと映ってはいるので、2年生の12~3月のエピソードで、コートの描写がない回は一つもない。

 そして7巻の書き下ろしカラー漫画では、このホワイトボードの右横が映った構図のコマが……コートが描かれるべきコマが、一つだけある。

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 おわかりいただけただろうか。

 ない。コートがない。

 でも鞄もない。

 三上小又先生の書き忘れ?

 いつもより離れた位置に置いてあるだけ?

 それはわからないが、ここでもう一つ着目したいのは、次のページで情報処理部にやってきた岡ちーが、やはり鞄しか持っていない点である。4周目の3月では、鞄と一緒にコートを抱えている岡ちーが描写されている。

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 (左7巻11ページ、右6巻14ページ)

 

 これまで『ゆゆ式』には「2年生の3月」が計5回あったが、その全ての回でコートの存在を確認することができる。とはいえ3月=コートありという断定は早計だ。二度あった1年生3月ではどちらもコートの描写がない。きっと3月下旬には暖かい気候になり、ゆずこたちはコートを着用しなくなるのだろう。

 と、そんな感じでここまでの情報を整理しよう。

 

・ゆずこと縁が「ふみお(ちゃん)」と呼ぶようになったのは12月から。

・岡ちーとふみおの情報処理部来訪の初出は1月。

・部室に全員集合したのは2月が初の可能性が高い。

・冬はほとんどの回でコートが描かれている。

・3月は2年生だと全回コートあり。しかし1年生時はコートなし。

・7巻の書き下ろしカラーにはコートがない。

 

 これらの情報を統合すると、以下の仮説が立てられる。

 

「7巻の書き下ろしカラー漫画は、3月下旬、もしくはそれ以後の出来事」

「つまり擬似ループを続ける『ゆゆ式』において、現時点で最も時間が進んでいる場面である」

 

 本当かよ。しかしこの仮説を前提に改めて7巻カラー漫画を読んでみると、相川さんが岡ちー&ふみおとの出会いやあだ名の話をしているのも、まさに年度の節目の、そういう季節だからという気がしなくもない。

 そして当仮説は3月下旬以後(から夏服に変わるまでの期間)も含むので、つまり、もしかしたら、3月どころか4月や5月……本編では未だ描写されていない、3年生に進級後という可能性もゼロではない。

 実は筆者は毎年4月の9日(まんがタイムきららの発売日)が近付く度に、ゆずこたちが3年生に進級しないか、少なからずヒヤヒヤしている。『ゆゆ式』の新たな一面が見たい。だから冬が好きである。進級すればその新たな一面をてんこ盛で見られるだろうが、しかしそれは終わりの始まりでもある……

 岡ちーの登場が『ゆゆ式』の時計の針を2年生へと進めたように、3年生に進級する際にもそういうわかりやすい予兆がある可能性は高い。残り一話となった6周目では、今のところ、そういう気配はない。よかった。いやよかったのか? 新キャラとか見たくないのか? 超見たい。でも連載が終わりへと向かうのは困る。ジレンマだ。まあそういう意味でも冬は緊張感が高いわけですね。コートを脱ぐまでが冬なので、もちろん来月もまだ冬です。もしコートがなかったら本編に時間軸の最先端が出現したということなので、それはそれでよい。

 ちなみに岡ちーもふみおも今月号の最新回には登場しておらず、さらに既述したように4月5月は禁ふみおか月間になるので、たぶん来月号には出てきます。2月3月と連続して登場しなかったことは過去に一度もないし出てくる。たぶん。

 

書いた人:杉田悠(9988字)

 

(注1)三上小又インタビュー『ゆゆ式』式、『マンガルカvol.1.0』、アニメルカ製作委員会、二〇一一年、一〇四頁

(注2)この差異が最もよく現われた例が、1月2周目(4巻109-111頁)のエピドードだろう。相川さんに「冬休みはどうだった? 何かヤな事あった?」とネガティヴな問いかけからスタートしつつも、すぐに「良い子っぽいよね」とポジティヴな方向に反転するゆずこ。

 しかし次ページでゆずこは岡ちーに対して一歩も引かず、ネガティヴな発言をひたすら連呼して被せる。それに張り合う岡ちー。そしてその横で笑う縁。

 改めて説明するまでもないことだが、『ゆゆ式』におけるボケっぱなしで喧しいギャグ的なゆずこのキャラクターは基本<ゆゆ式>内のキャラクターであり、この外部でのゆずこは本来頭のいい、空気を読むことに長けた人物である。つまりここでのゆずこの岡ちーに対するアクションは、相手に不快感を与える可能性のある「悪ノリ」が岡ちーに通じるという確信を持っている。それは親密度の高さの証左である。

 この後に岡ちーいじりの大先輩であるふみおが「佳が可愛らしいやつだって話?」と言っているように、ネガティヴな方面にいじってこそ岡ちーの可愛さが際立つということを、ゆずこは理解しているわけだ。

(注3)同掲書、一〇四頁

(注4)作画的な表現面における変化ならば、ゆずこの表情のバリエーションの増大が挙げられる。もともと初期の『ゆゆ式』は、様々な表情が散見されていた。そこから連載を重ねるにつれて洗練と淘汰が発生し、各キャラクターの表情パターンが固定化されていった……というのが、4巻半ばあたりまでの状況だった。しかしクビャー回(4巻79頁)あたりを境に、それまでなかったようなゆずこの(ときに変顔と言ってもいい妙な)表情が、多く観測されるようになる。

 一方で唯と縁の表情は絵柄自体の経年変化はあれど、デザインレベルにおいてはほとんど変化していない&増えていない。この差異は、おそらく意図的なのものだと思われる。ここでの「意図的」には二つの位相がある。まず作者の三上先生による、擬似ループ構造の中で読者を飽きさせぬよう、変化をつける意図。そしてもう一つは、当人であるゆずこの意図である。きっとゆずこはこの変顔によって、一年生の一年間以上に、周囲のみんなを愉しませようとしているのだろう。